マルソリ・ラボ
言語学、音声学、日本語、韓国語など。
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帰国
いよいよ帰国の日になりました。

宿舎への道


↑宿舎や研究室の方へ上がっていく坂道。毎日のように登った道です。


仁川空港(1)


↑そして仁川空港にやってきました。


仁川空港(2)


↑空港の中にあるインターネットラウンジ。今ここでこの記事を書いています。

韓国滞在を振り返る記事のつづきはまた後で書きます。
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韓国滞在を振り返る (2):2度目の韓国暮らし
前回の記事のつづきです。

前回の記事では,なぜフェローシップをとろうとしたのかについて書きましたが,実を言うとそれが韓国で研究するフェローシップであるということも,私にとって重要なことでした。

実を言うと,私にとって韓国で暮らすのはこれが初めてではありません。以前にも韓国に住んでいました。交換留学生として。そのときは,2001年夏から1年の予定でしたが,延長して1年半いました。そして1年半がたち,もうちょっといたいと思うようになりました。いろいろな理由があって。それで,実際に韓国にもう少しいつづける方法を探したりしました。でも結局,様々な事情があり,日本に帰ることになったのです。それでも,後でまた韓国で暮らしたいとは思っていました。

そういう意味で,今回韓国に来れることになったのは,願いがかなったようなものです。韓国国際交流財団のフェローシップの場合,期間は1年以内。これもちょうどいいと思いました。韓国で再び暮らしたかったといっても,もっと長期的に滞在したいとは思っていなかったので。将来はともかく,現時点でより長期的に韓国に滞在するのは,自分の研究者としての可能性を狭めてしまうように思えたのです。確かに韓国で研究すれば,調査対象である韓国語に身近にふれられるという利点はあります。韓国語話者の被験者を集めるのも簡単です。ただ,学界のレベルという点で見た場合,物足りなさを感じてしまうのです(もちろん私の専門分野での話であって,他の分野がどうかを私は知りません)。だから,1年以内 ― 私の場合9ヶ月 ― という期間もちょうど良かったわけです。(でも実際に今こうしてその期間を終えてみると,9ヶ月はやはりあっと言う間だなと思います。)

2度目の韓国暮らしは,少しずつ前回とは違いました。どんなところが違ったか,まとめてみたいと思います。

・所属がある
以前はただの交換留学生でした。勝手に授業をとったり研究を進めたりしていました。それに対し今回は,研究室に所属。研究室の会議に出席し,その他の催しにも参加し,学会の大会にはみんなで行ったりしました。

・居場所がある
所属があるのに伴い,研究室の中に自分の机を持たせてもらいました。交換留学生のときは,勉強や研究をするときは自分の部屋か大学の閲覧室(注参照)に行っていたわけですが,今回は決まった場所に行き,決まった人たちと顔を合わせるわけです。


注:
韓国の学生は,自分の部屋では勉強せず大学内の閲覧室を利用することが多いようです。閲覧室は図書館内のほか,他の場所にもいろいろ設けられています。図書館の本を読むというよりは自習のために利用するので,閲覧室というよりは自習室と言った方が適当かもしれません。閲覧室は学内にたくさんあり,そのどこも学生であふれかえっています。24時間あいている部屋もあります。巨大な部屋で大勢の学生が勉強しているのを初めて目にしたとき,カルチャーショックを感じたのを覚えています。

韓国の学生が自分の部屋よりも大学の閲覧室を利用することについては,いろいろな説があります。一人でいるよりも友人と一緒にいることを好むから,下宿や寮の部屋が狭くて勉強できる環境にないから,など。また日本の学生よりもよく勉強しているというのも事実だと思います。韓国の学生は日本の学生よりも成績に敏感で,また就職においてもTOEICのスコアなどが重視されたりします。

もっとも,上で書いたようなことは,大学によっても違うと思います。私のいる高麗大は韓国でも有数の名門大学で,大学に入ってからも,良い企業に就職したい,海外の大学院に留学したいなど,上昇志向が強い方だと思います。


・研究だけの日々
交換留学生のときはいろいろと授業をとっていましたが,今回は授業をいっさいとらず,研究だけをしていました。黙々と机に向かうだけの日々というのは,周囲からはさぞかしつまらないだろうと思われたりするのですが,研究を好む人間にとっては決してそんなことはありません。頭の中には広大な研究の世界が広がっており,本や論文を通じて世界とつながっているのです。(なんて大袈裟かな・・・)

・限定された人間関係
上に書いたことの結果として,人間関係は当然限定されてきます。自分の部屋と研究室を往復する日々(しかも自室から研究室まで徒歩3分!)で,授業をとることもなく研究だけをしていると,日ごろ会うのは研究室の人と一部のごく親しい友人ぐらいです。交換留学生のときは,同じ交換留学生の日本人・在日韓国人や他の国の人たちとけっこう親しくしていたのですが,今回の滞在ではほとんど韓国人としか会いませんでした。そんなわけで,日本語を使う機会もほとんどありませんでした。韓国語の実力をつける上では良かったのかもしれません。実際には,あまり韓国語力が向上した感じはしませんが…。

さて,次はフェローシップのことについて書いてみたいと思います。

韓国滞在を振り返る (1):フェローシップをとるまで
韓国滞在の期間も残りあと数日を残すのみとなりました。せっかくなので,この機会に韓国滞在の9ヶ月を振り返る記事を書いてみたいと思います。いざ書こうと思うと書きたいことがいろいろあるので,数回に分けて書くことになると思います。

最初は,韓国国際交流財団のフェローシップをとるまでの話。

そもそも私は昨年(2005年)まで大学院生でした。昨年の前半に行っていたのは博士論文の執筆,つまり大学院生活を締めくくる作業です。一方で,博士論文を書きながら考えていました。博士号を取得したらどうしようかと。1つのオーソドックスな道は,大学の専任講師になる,あるいは目指すということでしょう。もちろん,すぐに専任講師に採用されることは容易ではありませんが,とりあえず非常勤講師をやりながら専任講師の公募に応募することができます。実際,私の場合昨年博士課程に通いながら非常勤講師をやっていて,それを今年度も続けることができたわけなので,そういう道は私自身にとっても現実的であったわけです。

そういう道は考えていました。でも一方で,私は別の道も模索していました。それは,私が自分の研究にもどかしさを感じていたからです。どういうことかというと・・・

長い大学院生活の間に,私はいろいろと論文を書きました。見た目には,同じ分野の他の院生と比べて比較的多いほうだと思います。学会誌に載ったりもしました。でも,正直なところ,自分で心から納得できるような論文が1つとしてあるだろうか,と思ったのです。方向性自体は悪くない。でも,本質はもっともっと深いところにあるはずなのに,そこに全然とどいていない。・・・そんなもどかしさを感じていたわけです。

何が問題なのかはわかっていました。研究に十分専念できる環境になかったのです。研究をしながら,授業を受け,さらに他の仕事もやっていました。家庭教師,日本語教師,専門学校講師,大学非常勤講師など。それはそれでとても良い経験になったと思います。でも,研究をちゃんとした形で行うには,十分な知識を身につけ,調査や実験に手間ひまをかけ,さらに当然ながらよく考えなければならない・・・。研究を片手間で行わなければならないような状況では,そんなことできないわけです。

もちろん,文系の研究者にとって,研究だけに専念できる環境を永久に得ることは容易ではないかもしれません。それでも,大学院修了後に短期間でもそういう環境に身をおくことができたならば,その後の自分の研究人生はだいぶ違ったものになるはずだ・・・そう思ったのです。

だから,とりあえずいろいろな専任の公募に申請する一方で,しばらく研究だけに専念できるような道も探しました。有名なのは日本学術振興会(いわゆるガクシン)の特別研究員。その他にも,海外にまで目を向ければいろいろあります。その1つが韓国国際交流財団の滞韓研究フェローシップ。いろいろ申し込みました。そして,韓国国際交流財団のフェローシップにめでたく採用されたというわけです。

というわけで,フェローシップが決まってからは,専任講師の公募に申請するのはやめ,韓国に来る準備を始めました。昨年の秋,博士論文の公開審査とほぼ同じ時期のことです。

とりあえずフェローシップをとるまでの話はここまで。
なんだか真面目な話になってしまい,気恥ずかしいですね…。

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雪の日曜日
ソウルは昨日の夜から雪が降っていたようです。朝になったらけっこう積もっていました。

雪のソウル (1)



雪のソウル (2): 高麗大本館


上の写真は高麗大の本館。


雪のソウル (3): 高麗大中央広場


↑こちらは高麗大の正門を入ったところにある中央広場。雪だるまをつくっている人がいます。日曜なので静かです。


雪のソウル (4): 高麗大民族文化研究院


↑私の所属する研究室のある民族文化研究院(韓国学館)。

今日のソウルの最高気温は1度だとか。かろうじてプラスにはなっていますが,寒い1日でした。

馬山で調査 (3):魚市場と港
前の2つの記事(その1その2)のつづきです。

慶尚南道の馬山には2泊3日の予定で行っていました。最終日,ちょっと時間があったので,少しだけ観光を。魚市場の方へ行ってみました。


馬山の魚市場 (1)



馬山の魚市場 (2)


上の2枚の写真は馬山の魚市場で撮ったもの。こういうところに行ってみると,雰囲気がいかにもアジアって感じでおもしろいです。釜山のチャガルチ市場とか行くと,お店の人が日本語でしきりに声をかけてきたりしますが,ここではそういうことはありませんでした。きっと外国人観光客があまり来ないところだからでしょう。あるいは,一人でいたので,外国人に見えなかったのかも。

魚市場をぬけると,その先には港がありました。下の2枚は港で撮った写真。


馬山港 (1)



馬山港 (2)


カモメが飛んでいます…

そんなわけで,馬山での3日間はあっと言う間に過ぎました。今は集めたデータを整理しています。録音をずっと聞いていると,慶尚道なまりがうつってきそうです。

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馬山で調査 (2):なぜ慶尚道方言を研究するのか?
前回の記事のつづきです。

馬山で調査したのは,この方言の韻律。いわゆるアクセントとイントネーションに関することです。単語のアクセントも調べましたが,関心の中心は文レベルの現象にあります。

実のところ,私は去年までもっぱらソウル方言の韻律を研究していました。慶尚道方言についてやるようになったのは,韓国に来てからのことです。研究対象を変えたのかと言われることがありますが,変えたわけではなく,広げたというのが正確だと思います。ソウル方言の研究もちゃんと続けています。

慶尚道方言を研究しているのも,私の場合,単に慶尚道方言のことを知りたいからというわけではありません。慶尚道方言に見られる現象を通じて,様々な方言に共通する韓国語そのものの特徴 ― 特に日本語との本質的な違い ― が見えてくるのではないかと思ったからです。そして,実際に調べ始めてみて,この見通しは間違っていなかったと思うようになりました。とはいえ,それを明らかにするために調べるべきことは山ほどあるし,論文としてまとまるのはまだだいぶ先のことになりそうです。

そんなわけで夢はふくらんでいるのですが,現実的にはもうすぐ韓国を離れなければならないというのが問題。調査のため,今後もちょくちょく韓国に来た方がいいかなと思っている今日この頃です。

馬山のことを書くつもりが,話がちょっとそれました。馬山に関する話はまだ続きます。

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馬山で調査 (1)
調査のため,慶尚南道の馬山市に行ってきました。馬山市というのは,釜山よりもちょっと西に位置する港町。さらに西に行くと晋州市があります。






馬山駅

上の写真は馬山駅。セマウル号がとまります。






馬山駅前

こちらは馬山駅前の様子。駅前は特に繁華街というわけではないようです。にぎわっているのは,市外バスターミナルの周辺や港のあたりのよう。






昌信大学

上の写真は昌信大学という専門大学。馬山市の東端,もう少し先に行けば昌原市というところに位置しています。ここで,学生さんたちをインフォーマントとして調査を行ったという次第。観光日本語通訳科の秋月先生にたいへんお世話になりました。空いている教室を,まるで自分の研究室であるかのように使わせていただきました。ちょっと図々しかったかも…。

つづきはまた後で。

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発表おさめ
ソウルの慶煕大で発表をしてきました。慶煕大の研究所と早稲田大の研究所が共同で主催しているワークショップのようで,日本から何人かの先生がいらしてました。とても小規模のワークショップである上に,私の発表する午後は2つの部屋に分かれて行ったため,私の発表のときの聴衆の人数は一桁。入念に準備したのに,拍子抜けしてしまうようなワークショップでした。

とはいえ,これが私にとって初めての英語での(公式な場での)発表。英語での発表に慣れていく上では,こういう小規模のものが最初であったのは良かったのかもしれません。原稿をほとんど見ずに話せたのは,ちょっとした自信になりました。ちゃんと準備し練習しさえすれば,英語で話すのもどうってことないんだなと。もちろん,文法的な間違いはいろいろあったでしょうが,それでもそれなりに伝わったようです。

ただ,課題は質疑応答。質問者の質問内容がうまく理解できず(主に私のリスニング力の問題でしょう),質問者との議論がかみ合うまでに時間がかかりました。もっとも,質疑応答は日本語で発表しても難しい部分ではありますが。

内容は新しい成果の発表ではなく,日本語と韓国語の韻律について概観するというもの。もっと具体的に言えば,日本語と韓国語の韻律に関する先行研究をまとめ,そこにある核心的な問題が何であるかを論じ,それを解決する試みとして私の最近の研究(韓国音声科学会で発表したもの)を紹介するというものでした。要するに,自分の最近の研究の宣伝のようなものです。

発表の準備をする過程で,今後行うべき実験のパラダイムを思いつきました。それも今回の発表とその準備を通じて得たものの1つかも。

今年は今まで以上に口頭発表・講演をたくさんした年でした。数えてみたら,今回が6回目。今年はおそらくこれが最後です。来年はきっと英語でたくさん発表をしなければならなくなるでしょう。

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久保 (1993)
久保智之 (1993) 「疑問詞のスコープを表わす高く平らなピッチ ― 朝鮮語釜山方言・晋州方言についての報告 ―」 『アジア・アフリカ文法研究』 22,東京外国語大学 アジア・アフリカ言語文化研究所.


久保 (1993)


この論文では,慶尚南道の2つの方言 ― 釜山方言と晋州方言 ― について,そのアクセント体系,複合語アクセント,用言のアクセントをまとめたのち,疑問詞疑問文のピッチの特徴を論じています。

釜山方言はアクセント核(この論文の用語では「アクセント」)を持つ方言のようです。これまでに私が読んだ慶尚南道東部の諸方言に関する論文と比べてみても,それらとかなり似た体系を持っているようです。複合語アクセント規則についても,慶尚南道の他の方言や慶尚北道の方言と似ています(例えば,羅聖淑 1974による大邱方言とか)。

一方,晋州方言は,4つのトーンからなる体系を持っているとのこと。早田輝洋氏の用語で言うところの「語声調」ですね。久保論文では,古い世代の晋州方言を扱った大江 (1977)との違いにも言及しています。「低中中…」の型が「低高低…」の型に合流しているとのこと。きっとこれは世代差なのでしょう。複合語アクセントについては,常に前部要素の型が全体の型になるようで,釜山方言とは違っています。

さて,この論文のメインは疑問詞疑問文のピッチです。例えば,釜山方言を例にとると,
(1) 김치 물래? (キムチ食べる?)
はピッチが [HL HL] となるのに対し,
(2) 무슨 김치 물래? (何のキムチ食べる?)
のように疑問詞がつくと, [LHHHHL] というように,疑問詞の第2音節以降が高く平らなピッチになるという話です。つまり,単語本来のアクセントが消えてしまうわけです。
(なお,上の例文は釜山方言です。標準語では上のようには言いません。)

この現象,私自身も晋州に行ったとき(以前の記事に書きました)に実際に耳にしました。また,研究室にいる慶尚南道出身の人の発音でもそうでした。韓国で出た論文でも,金次均氏が指摘しています。例えば,
・김차균 (1970) 경남 방언의 성조 연구. 한글 145, 109-149.
(昌原方言を対象としています。)
・김차균 (1980) 경상도 방언의 성조 체계. 서울: 과학사.
(私は未見ですが,久保論文の中で言及されています。)
など。

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