マルソリ・ラボ
言語学、音声学、日本語、韓国語など。
200709<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>200711
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Foulkes and Docherty (2006)
P. Foulkes and G. Docherty (2006) The social life of phonetics and phonology. Journal of Phonetics 34. 409-438.

これも前回の記事で紹介した論文とともに,次の研究会で議論することになっています。社会言語学的な観点から音声学・音韻論をみた話です。




最初はsociophonetic variation(日本語に訳せば,「社会音声学的変異」とでもなるのでしょうか)とは何かについて,著者らの研究をもとを中心にして述べています。著者らの研究というのは,Newcastle upon Tyne(イングランド北東部の都市)における子音の変異とその修得に関するもの。

その上で,そういったsociophonetic variationを説明するにはどういう理論がいいかという議論をしています。ここで著者らが賛同している理論は,はやりの最適性理論ではなく,exemplar-based model。なぜexemplar-basedがいいのか(言い換えれば,なぜ他の理論が駄目なのか)というと,他の理論で変異を説明することはできても,その変異の持つindexical values(つまり,それぞれの変異が,人の頭の中でどういった社会的属性と対応付けられているか・・・だと思います。たぶん。)が説明できないから,とのこと。




ちなみに,(音韻論における)exemplar-based modelとは,他の理論のようにlexical representationを抽象的なものとみなさず,もっと具体的なものと考える理論です。イントネーション研究でとても有名なPierrehumbertも,最近はこの方向で研究をしているようです。

前回の記事で,近頃の音韻論に批判的な研究を取り上げましたが,exemplar-based modelも近頃流行の音韻論と一線を画しているという点では,同じと言えば同じ。ただ,こちらはもっとラディカルです。Lexical representationに関する生成音韻論の考え方を,根本から否定しているわけですから。

私はこの理論についてあまり詳しく知りませんが,実は以前から気になってはいました。今後の音韻論は,もしかしたらこういう方向にいくんじゃないかとも予感しています。そうすると,音韻論の風景も,がらっと変わるんじゃないかと。
スポンサーサイト

Hale and Reiss (2000)
M. Hale and C. Reiss (2000) Phonology as cognition. In N. Burton-Roberts et al. (eds) Phonological knowledge. 161-184. Oxford: Oxford University Press.

週一回,学内で音声学・音韻論の集まりがあるのですが,そこで来週この論文について議論するとかいうことで,読んでみました。あまりよく理解できなかったのと,自分の研究と直接関わるわけではないのでさほど丁寧に読まなかったので,あまり詳しいことは書けません。でも,著者らの中心的な主張はたぶん理解できたと思います。




ソシュール以来用いられている言語学の用語として,形式(form)と実質(substance)というものがあります。近頃の音韻論は実質に傾いている。でも,音韻論は形式を扱うべきだ。…というのが著者らの基本的な主張です。

著者らは,「実質の乱用」(substance abuse)という言葉を用いています。例えば,[high]という素性が語頭で維持されやすいという傾向を説明するために制約が提案される,というのがその例。著者らによれば,こういった「実質の乱用」のケースは言語変化の過程や言語習得装置の特性などによって説明できるものであって,音韻論の問題ではないとしています。




私も昔からそんなことをおぼろげに考えてきたので,納得できる話です。生成音韻論は(あるいは,「生成音韻論者は」と言った方がいいかもしれませんが)現象が自分たちの理論で説明できることに嬉しくなって,なんでもかんでも扱ってきたような印象があります。そして,その結果として理論を複雑にしてしまったように見えるのです。本当は,その現象がそもそも音韻論で扱うべき現象なのかどうかをまず問うべきだと思うのです。もしかしたら,音韻論の問題ではなく,音韻論の外の問題なのかも知れないですから。そうしたら,音韻論はもっと「軽く」なると思うのです。

そういうことを真面目に考えて,音韻論の世界の内側で主張している人もいるのですね。最初にも書いたように,私はこの論文の中身をちゃんと理解していないので,この論文で言っていることがどれだけ妥当性があるかは判断できません。ただ,問題意識は正しいと思います。

音韻論は今後どこに向かうんだろう,なんてことも考えてしまいます。というか,最適性理論は今後どうなるんでしょうね?

『アメリカの大学院で成功する方法』
アメリカの大学院で成功する方法―留学準備から就職まで (中公新書) アメリカの大学院で成功する方法―留学準備から就職まで (中公新書)
吉原 真里、Mari Yoshihara 他 (2004/01)
中央公論新社

この商品の詳細を見る


私が今いるところはアメリカではなくてイギリスですし,別にこれからアメリカの大学院に行こうと思っているわけでもありませんが,何となく気になって読んでみました。

アメリカの大学院に留学するところから,留学生活,そしてアメリカの大学で教員としてやっていくところまで,著者の経験にもとづいて書かれています。よく聞くことですが,アメリカの大学院は勉強がたいへんなようで。授業の課題として毎日約一冊のペースで本を読むことになり,さらに授業はディスカッション主体。「自分の知力と体力を二〇〇パーセント注いでも,翌日の授業のための課題を読み終えることもできないばかりか,必死に読んでいざ授業にのぞんでみると,ゼミでみんなが話していることがさっぱり理解できなかった。」(p.ii)著者は帰国子女で,おそらく英語はもともとかなり出来たんだと思いますが,そんな人がたいへんだったというと,私ぐらいの英語力だったらいったいどうなることか・・・。

もっとも,専門によってもかなり違うのだろうと思いますが。著者の専門はアメリカ文化研究。文学とも関係あるような分野みたいですし,読むことが全ての基本であるような分野なんじゃないかと推測します。私の専門,言語学ではどうなんだか・・・

ちなみに,私も今学期ここエディンバラで授業を二つ聴講しています。その印象は,上の話とはだいぶ違います。授業は講義で,先生が一方的に話すだけのもの。授業中活発に質問が飛び交うかというと,確かに質問をよくする人はいますが,それはごく一部の人で,大部分の人はとても静かです。リーディングの宿題は出ますが,量は一回がチャプター一つくらい。しかも,みんなちゃんと読んできているのかどうか疑問。私は授業中のリスニングにあまり自信がないので,わりとちゃんと読んでいますが,授業をちゃんと聞いていれば,宿題のリーディングを読まなくてもついていけるんじゃないかと思ったりします。まあ,著者のケースと私が聴講している授業はいろいろ条件が違うので,様子が違うのは当然といえば当然なのですが。私が聴講しているのは博士課程ではなく修士課程の授業だし,そもそもここはアメリカではなくイギリス。大学院のシステムがかなり違います。

さて,本の話に戻りますが,ひとつ興味深かったのは,博士論文のテーマを決める段階で「日本関係トピック」とどう折り合いをつけるかという話。「日本人であるがゆえに,なんらかの形で日本やアジアに関係した分野やトピックを専門にすることを,周囲に期待されがちなのである。」(p.105)これ,言語学の世界でもよくあることだと思います。

言語学の世界だと,例えば日本で英語学を専攻していた人が,アメリカの大学院の言語学科に入り,そこで日本語に関するテーマで博士論文を書くことが,とてもよくあります。指導教授からそうしろと言われるのか,あるいは,英語をテーマにしてもネイティブには太刀打ちできないと,自ら進んでそういうテーマを選ぶのか。当人たちは,どういう気持ちで日本語を研究テーマに選ぶんだろう?もともとは英語が好きで日本で英語学を専攻し,そして英語圏の大学院にまで留学したんだろうに。そんな疑問を,私は昔から持っていました。

そんなわけで,本を読みながらいろいろなことを考えました。アメリカの大学院の様子を(一般化はできないでしょうが,少なくともその一端は)垣間見ることができて,興味深かったです。

セミトーン
セミトーン(semitones)の計算ってどうするんだろうと思って調べてみました。手元にあった本では見つからなかったのですが,Praatのマニュアルから発見。

100 Hzを基準として,x Hzをセミトーンに変換する場合,

Semitones(x) = 12 * log(x/100) / log(2)

ここでの対数は常用対数ではなく自然対数。

二つのF0値a, bの間隔をセミトーンにするときは,

Semitones(a-b) = 12 * log(a/b) / log(2)

とすればいいはず。


Special issue: Prosodic Phrasing and Tunes (The Linguistic Review)
偶然みつけたのですが,The Linguistic Reviewの最新号(24巻2-3号)はProsodic Phrasing and Tunesの特集です。

The Linguistic Reviewのページ
24巻2-3号

Xu and Sun (2002)
Xu, Yi, and Xuejing Sun (2002) Maximum speed of pitch change and how it may relate to speech. JASA 111.

ピッチ変化における最高スピードはどれくらいかを調べた論文です。これが韻律研究において重要なのは,韻律に対する生理的な制約の一つとして変化スピードの限界があるようだということが言われるようになってきた一方で,実際にその限界がどこにあるかがこれまで明らかではなかったからです。




ピッチ変化の最高スピードの研究としては,これまでOhala and Ewan (1973)Sundberg (1979) があった。彼らの研究は,ピッチ変化をacceleration,fast glide,decelerationの三つの段階からなるものとみなし,そのうちのfast glideに相当する,変化幅の中間75%のスピードを調べたものであった。これに対し,この論文では,中間75%だけでなく,accelerationからdecelerationを含む全体も調べた。なぜなら,実際の言語の韻律に当てはめて考えるとき,変化を最後まで成し遂げるのにどれほど時間がかかるかを考慮する必要があるからである。

変化の全体を捉えるため,この研究では,LHLHのように高低の連続からなる刺激音を被験者に聞かせ,まねさせるという方法をとった。また,中国語話者と英語話者を被験者とした。

主な実験結果(および解釈)

・中国語話者も英語話者も,変化スピードは変わらない。(ただし,変化幅と時間は異なる。)

・下降と上昇では,下降の方が速い。
... Sundberg (1979) と基本的に一致。これは,下降と上昇で異なる筋肉が働くためと考えられる。下降では輪状甲状筋(cricothyroid muscle)と甲状披裂筋(thyroarytenoid muscle)が主に関わるのの対し,上昇では舌骨下筋群(infrahyoid strap muscles)が関わる。後者は,力強いがゆっくりである(Honda 1995)。

・変化の全体にかかる時間は,75%の部分にかかる時間の1.62倍~2.07倍であった。
... 予想以上にaccelerationとdecelerationに時間がかかっている。

# さらに,実験結果をもとに,イントネーションに関する先行研究のデータを再検討しています。例えば,Caspers and van Heuven (1993) など。

以上の実験結果をもとに,これまでのイントネーション研究の結果を見直してみると,変化スピードの限界に近づいていると思われるケースはかなりある。

さらに,実験結果は,中国語のピッチが[high] [low] [rise] [fall] の4つのターゲットからなり,それらが生理的な制約によって変化を受けるというXuのモデルを支持する。ただし,英語やオランダ語など他の言語においては,異なる可能性もある。




今後の韻律研究においては,生理学的な側面が重要になってくるんじゃないか・・・そんなことを感じさせる論文でした。

Atterer and Ladd (2004)
Atterer, M. and D.R. Ladd (2004) On the phonetics and phonology of "segmental anchoring" of F0: Evidence from German. Journal of Phonetics 32, 177-197.

以下は序論のまとめです。




T1*+T2やT1+T2* というのが,アラインメントの異なるピッチアクセントを区別するために用いられてきた。

このスターは,広く用いられるようになる一方で,本来とは離れた機能をも意味するようになってきた。つまり,二つのトーンのうちの一つはアクセント音節にアラインしなければならない,というものである。

さらに,スターは暗に音声の特徴をも示すような用い方がされてきた。つまり,アラインメントの対立がない場合においても,スターをつけることで,ピークと強勢との相対的位置関係が示されるようになったのだ。(例えば,ドイツ語のL*+Hは,それに対応するL+H*を持たない。)

Bitonal accentにおける二つのトーンのうち一つがアクセント音節にアラインしなければならないとすると,ギリシャ語のrising prenuclear accentのケースが問題となる。このケースでは,Lがアクセント音節の始端に,Hが終端に一貫してアラインするからである(Arvaniti, Ladd, and Mennen 1998, 2000)。こうした現象は他の言語にも見られる。しかし,アラインメントの仕方は言語によって少しずつ異なる。

こうしたsegmental anchoringの問題に対する一つの考え方は,secondary associationだろう。Secondary associationは,Pierrehumbert and Beckman (1988) によって初めて導入され,のちにGussenhoven (2000) やGrice, Ladd, and Arvaniti (2000) によって発展させられた。この考え方を,上述の問題に適用することも可能かもしれない。つまり,アラインメントはsecondary associationによって決定するわけである。

しかし,言語によってアラインメントが少しずつ違うことを,secondary associationによって説明するというのは,いいやり方なのだろうか?そうではなくて,言語間の違いは,"language-specific phonetic rules"に求めるべきかもしれない。




…だいたいこんなことが,序論に書かれていたことです。この論文では,ドイツ語のprenuclear rising accentについて,南北の方言でアラインメントが若干異なることを示すとともに,それがさらに英語やオランダ語のL*+Hのアラインメントとも異なることを示しています。そして,secondary associationではなくphonetic rulesによるものだという方向に議論を持っていっています。

Secondary associationを取り上げつつ,そうではないと言っているという点では,前回の記事のArvaniti, Ladd, and Mennen (2006)と似てますね。



Arvaniti, Ladd, and Mennen (2006)
Arvaniti, A., D.R. Ladd, and I. Mennen (2006) Tonal association and tonal alignment: Evidence from Greek polar questions and contrastive statements. Language and Speech 49. 421-450.

Prieto et al. (2005) の提案に対し,別の解釈を示すというのが基本的な内容です。




背景にあるのは,secondary association。これは,Pierrehumbert and Beckman (1988) が,日本語においてphrasal Hがアクセント句の左端ではなく第2モーラにつくことを捉えるために初めて導入した。そしてその後,様々な言語に適用されることになる。

さて,問題になるのはPrieto et al. (2005)。彼らは,アクセントの種類によってアラインメントが微妙に異なるケースを問題にしている。例えば,カタルーニャ語の場合,
・ブロードフォーカスの平叙文において,prenuclearの位置で,ピークの遅れを伴う上昇調が現れる。
・命令文において,prenuclearの位置で,アクセント音節の終端にピークの現れるタイプの上昇調が現れる。
彼らは,この二つはどちらもL+H*であり,secondary associationが異なるのだとしている。つまり,どちらもprimary associationはアクセント音節につくが,前者ではsecondary associationがpost-tonicの位置につくのに対し,後者ではアクセント音節の右端につくとしている。

このPrietoらの提案は,通常のsecondary associationとは異なるため(つまり,通常はprimary associationが韻律境界でsecondary associationが特定のTBUにつくのに対し,ここでは言わばその逆),著者らはこれをsupplemental associationと呼んでいる。

この論文では,ギリシャ語において似たような現象があることを示し,それに対する別の解釈を提案している。その現象とは,polar questionとcontrastive statementの二つにおけるアラインメントの微妙な違い。

(実験を飛び越して結論に移ると・・・)

著者らによれば,polar questionはL+H* L- L%であるのに対し,contrastive statementはL+H- L%(L+H-は最後の強勢音節にsecondary associationする)となる。そして,tonal crowdingにより,両者のアラインメントに微妙に差が出るのだと解釈している。

ちなみにtonal crowdingとは,TBUの数よりもtoneの数の方が多いときにtonal targetが何らかのかたちで調整される現象。言語によって,truncationが起きることもあれば,全てのtargetが実現するものの何らかの調整(undershootやalignmentの調整)がなされることもある。




ということで,今の自分の研究に多少関係あるかと思って,序論と考察を中心にざっと読んでみたのですが・・・ 直接は関係ないかも。でも,おもしろかったです。

Beckman & Pierrehumbert (1986)
Beckman, M. E. & J. B. Pierrehumbert (1986) Intonational structure of Japanese and English. Phonology Yearbook 3, 255-309.

有名な Pierrehumbert & Beckman (1988) (P&B)の2年前に出た論文(こちらも有名ですが)。英語と日本語のイントネーションの比較で,日本語に関する部分はP&Bと似たような話です。のちに出ることになるP&Bが,paper submitted to Linguistic Inquiryということでforthcomingとして引かれています。

この論文の中で最近気になっていた部分を,断片的に拾って読んでみました。以下,気になっていた箇所のまとめ。

HL or H*+L


日本語にはaccented syllable付近に急激な下降があり,これはHとLとして分析される。Pulleybank (1983) とPoser (1984) に従い,アクセントは"lexically linked H tone"として扱う。(p.256)

# HとLは最初からセットで,そのうちのHの部分がTBUとリンクしているということ?それとも,派生の後の方の段階でLがつくとか?

このほかに,lexiconでは*をつけておき,後からH*+Lを挿入するというやり方もありえる。これLは,Haraguchi (1977) とちょっと似たやり方。(p.260f.)

# この論文ではこの方法を採用していませんが,特別反対しているわけでもないようです。

アラインメント


英語のbitonal accentにおいて,starred toneからunstarred tone(+のあとのもの)の時間は一定。TBUの長さによって,starred toneと同じ音節の中に現れることもあれば,後ろに現れることもある。(p.280)

日本語に関しては,HLのLがtrailing unlinked toneなのか,Hのつくモーラの次のモーラにリンクしているのかについて,証拠はない。ここでは,Lはリンクしていないものとして扱う。(p.280f.)

# その後,日本語のLのアラインメントについて調べた研究とかあるのでしょうか?

copyright © 2004-2005 Powered By FC2ブログ allrights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。