マルソリ・ラボ
言語学、音声学、日本語、韓国語など。
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Hale and Reiss (2000)
M. Hale and C. Reiss (2000) Phonology as cognition. In N. Burton-Roberts et al. (eds) Phonological knowledge. 161-184. Oxford: Oxford University Press.

週一回,学内で音声学・音韻論の集まりがあるのですが,そこで来週この論文について議論するとかいうことで,読んでみました。あまりよく理解できなかったのと,自分の研究と直接関わるわけではないのでさほど丁寧に読まなかったので,あまり詳しいことは書けません。でも,著者らの中心的な主張はたぶん理解できたと思います。




ソシュール以来用いられている言語学の用語として,形式(form)と実質(substance)というものがあります。近頃の音韻論は実質に傾いている。でも,音韻論は形式を扱うべきだ。…というのが著者らの基本的な主張です。

著者らは,「実質の乱用」(substance abuse)という言葉を用いています。例えば,[high]という素性が語頭で維持されやすいという傾向を説明するために制約が提案される,というのがその例。著者らによれば,こういった「実質の乱用」のケースは言語変化の過程や言語習得装置の特性などによって説明できるものであって,音韻論の問題ではないとしています。




私も昔からそんなことをおぼろげに考えてきたので,納得できる話です。生成音韻論は(あるいは,「生成音韻論者は」と言った方がいいかもしれませんが)現象が自分たちの理論で説明できることに嬉しくなって,なんでもかんでも扱ってきたような印象があります。そして,その結果として理論を複雑にしてしまったように見えるのです。本当は,その現象がそもそも音韻論で扱うべき現象なのかどうかをまず問うべきだと思うのです。もしかしたら,音韻論の問題ではなく,音韻論の外の問題なのかも知れないですから。そうしたら,音韻論はもっと「軽く」なると思うのです。

そういうことを真面目に考えて,音韻論の世界の内側で主張している人もいるのですね。最初にも書いたように,私はこの論文の中身をちゃんと理解していないので,この論文で言っていることがどれだけ妥当性があるかは判断できません。ただ,問題意識は正しいと思います。

音韻論は今後どこに向かうんだろう,なんてことも考えてしまいます。というか,最適性理論は今後どうなるんでしょうね?

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2007/11/01(木) 17:48:39 | 一語で検索
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