マルソリ・ラボ
言語学、音声学、日本語、韓国語など。
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秋の地方踏査:忠清南道,全羅道
韓国国際交流財団の地方踏査(旅行)に参加してきました。私がフェローシップを受けている韓国国際交流財団では春と秋の2回地方踏査があって,春の地方踏査は以前の記事に書いた通りです。今回は秋の地方踏査。忠清南道,全羅北道,全羅南道を2泊3日で巡ってきました。

nunsangri.jpg

忠清南道には,百済がその歴史の後半に都を構えた公州,扶餘があります。写真は扶餘にある陸山里古墳(능산리고분)。いくつかある丸く盛り上がったのが百済の王族のお墓です。歩いているのは一緒に旅行に参加したフェローの人たち。いろんな国の人たちがいます。

百済は,当時「倭」と呼ばれていた日本と交流が盛んだった国。例えば,百済の武寧王の墓から出てきた木棺は,日本でしかとれない松の木で出来ていたのだそうです。(後で調べたら,このことはウィキペディアの「武寧王」の項目にも書いてありました。)

Kochang.jpg


2番目の写真は全羅北道高敞のお城。高敞邑城(고창읍성)というこのお城は,別名牟陽城とも呼ばれています。東洋のお城は,castleというよりもwallにむしろ近いのだとか。このお城を見るとまさにそんな感じです。お城は山にあって,下には高敞の町が広がっています。

Mokpo.jpg


3番目の写真は,韓国の西南部に位置する木浦(목포)市(全羅南道)。この都市は,日本の植民地時代に重要視された都市だとか。港があり,ソウルへとつながる鉄道が建設されました。植民地時代には多くの日本人が住んでいたそうです。写真はこの木浦にある儒達山から撮ったもの。山のふもとにある赤レンガの洋風の建物は,植民地時代の建物だそうです。
…それはそうと,木浦を訪れた3日目は天気の悪い日でした。写真を見てもわかるように…

2泊3日でいろいろな観光名所をまわり,ガイドさんの説明をちゃんと受けられるというのは,この手の団体旅行ならではの良さだと思います。反対に短所は,地元の人と触れ合う機会が全くないということ。言葉を研究する者としては,その地方の方言を聞く機会が全く得られないというのが,とても残念な点でした。全羅南道まで行けば,言葉はかなり違うはずなのですが。

テーマ:韓国旅行 - ジャンル:旅行

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